
トップページで掲載された写真のアーカイブです。
東京都内の様々な風景をお届けします。
東京都内の様々な風景をお届けします。
国立博物館: 今年開館150周年を迎える東京上野にある国立博物館。滅多にないことですが、収蔵80点以上の国宝が見れます。普段滅多にお目にかかれないお宝を探しに、大勢のトレジャーハンターの方々が足を運んでいました。私もその一人になりたかったけど、予約できずに挫折です。
勝鬨橋: 有名な隅田川にかかる可動橋の勝鬨橋(かちどきばし)です。1940年に完成してから、1970年に停止するまでの30年、日本の戦前戦後を見守り続けてきた橋も今はその可動橋としての役目も終え、普通の橋として皆の交通を支えています。こち亀で見てちょっと訪れてみただけでしたが、実際に動く姿をこの目で見たかったものです! 松ちゃん
旧芝離宮恩賜庭園: 東京をブラブラ歩くというのはいいものです。特に今日のように暑い日は!ということで、浜松町駅から歩いて旧芝離宮庭園へ散歩をしてきました。元々は大久保忠朝の上屋敷にあった庭園が元だそうで、広さはそう広くはないです。でも今訪れるとビル群に囲まれ、昼時の人々の憩いの場となっています。喧噪とする周囲からはまた違う時間の流れを感じさせてくれます! 松ちゃん
千鳥ヶ淵の桜: 今年の春は去年と違って、桜も長く咲いていたような気がするのは気のせいでしょうか?先日の日曜日、千鳥ヶ淵から靖国神社へ足を延ばそうと歩いていると見事な桜を見ようと大勢の人が靖国通りを埋め尽くしていました。暑いくらいの陽気と丁度よい風が心地よく、桜吹雪も綺麗で目を楽しませてくれます。堀の両側が桜が舞っていましたが、とにかく人の圧力がすごくて写真を撮るのも一苦労です。水道橋から歩いたのですが、ここを過ぎたあたりでヘトヘトになっていました。でも、この景色で少しは疲れも吹っ飛んだかな?! 松ちゃん
岩淵水門: 天気のいい日に自転車で荒川を遡っていくと、赤い水門と青い水門が見えてきます。ここは荒川と隅田川の分かれ道、分水嶺となる場所です。現在荒川と呼ばれる川は放水路として作られた人工の川。かつて荒川と呼ばれた川は現在隅田川と呼ばれています。昔洪水を起こしたとは思えないほど、静かな水面を見せていましたが、こうした水門のおかげで皆安心して生活できるのかな、と思わされました。 松ちゃん
旧岩崎邸:今回からこのページを担当することになりました!先任者同様、都内の写真を載せていきたいと思いますので、当ホームページを訪れた際にお楽しみ頂ければ幸いです。さて、最初は台東区にある旧岩崎邸から行ってみましょう!現三菱グループの創業者岩崎弥太郎氏が土地を購入し、3代目久弥さんが建てた屋敷です。この一帯は元越後高田藩の榊原家の屋敷跡です。1896年に竣工し、今もその姿を残す貴重な文化遺産です。訪ねた時は残念ながら外装改修中で、今年の10月まで見ることが出来ませんでした。 松ちゃん
水天宮その6:昨年、平成28年の4月に参拝が出来るようになった新しい社殿に近づくと、まだ白木の芳香が漂い、赤銅葺きの屋根が輝いている。ここ東京水天宮の御祭神は四柱あり天御中主神と安徳天皇、建礼門院、二位の尼となっております。天御中主神は後から祀られたのでさておき、残りの三柱は遠い昔「治承・寿永の乱(源平合戦)」の登場人物。初めて御祭神の名前を知った時、東京の日本橋にいるはずもない人と鉢合わせになってしまったような不思議な感覚に陥りました。水天宮の項終わり。Taka.N
水天宮その5:その日は暖かく天気の良い日曜日だったからでしょうか、本殿から参拝を待つ人たちで行列ができていました。30分から1時間待ちだそうです。また、平日でも12日に一度巡ってくる「戌の日」はご参拝される人も多く長い行列ができるようです。明治になり七耀が使われる以前は、十干十二支が人々の生活周期に使われていました。熊手で有名な「酉の市」や鰻で有名な「丑の日」、お稲荷様の祭日「初午」なんかは十二支から。甲子園球場の「甲子」や戊辰戦争の「戊辰」なんかも十干十二支からきているんですね。Taka.N
水天宮その4:子授かりと安産祈願で有名な日本橋蠣殻町の水天宮ですが、私がその存在を初めて知ったのは小学生の頃に読んだ児童文学「四年三組のはた」偕成社(1975年)でした。担任の先生がご懐妊され代わりに産休の先生がやってきて、みんなで先生の安産を祈念に水天宮まで参拝に行くみたいなお話。著者は「先生のつうしんぼ」などで有名な「宮川ひろ」先生です。なんか書いていたら当時が懐かしくてウルウルしてきました。みんな元気でやってるのかなぁ・・・。Taka.N
水天宮その3:久しぶりに訪れた水天宮ですが1階部分(?)は打ちっ放しのコンクリートなどが使用されており、雰囲気がモダンになっていました。前回来た時とあまりにも記憶が違いすぎるので驚いてしまいましたが、調べてみますと平成25年3月までは古い社殿で、それから3年間は明治座そばの仮宮に遷座されていたようです。その間に建て替え工事が行われ、平成28年4月にあたらしい社殿の落成とともにこちらにお戻りになられたそうです。知らなかったなぁ・・・・・。Taka.N